一昨日に続いての夜景系ですが、
旧職場に書類提出のついでで、横浜山手界隈になぞ来て見ました。
実は私も初めて来たんですが、ここは「港の見える丘公園」。
紫色の塔は、いつのまにか改装工事の終了していた「マリンタワー」で、
当ブログ左上の写真にも借景させてもらってます(改装前、山下公園から撮影)。
まだ5時頃なんですが、さすが冬至の時候。すでに完全夜景モードですね。
もちろん人目を畏れぬカップル達も、バッチリ出現中であります。
この辺は、明治大正あたりの異人館の密集地。
無料公開されてる建物も多いですが、
現在クリスマス装飾キャンペーン中なのでした。
ちょっとした広場というか、坂道を駆け巡るバスの転回スペースというか。
一部バスの中にも、車内が電飾されてるのがあるようですね。
1、2軒ぐらい中に入ってみましょうか。
せっかくだから、俺はこの建物を選ぶぜ!
立派な吹き抜けに、さっそくクリスマス飾り。
ここのはポルトガル式だそうです。
ただ残念なことに室内が変な、よどんだような匂いがします。
結構見学者多いから人いきれかも知れませんが、
併設のカフェ(もう閉店時間の模様)でよほど珍品料理でも作ったのか、
それとも何か特殊なワックスでも使っているのか。
こちらは食卓の再現。
部屋の隅にも、気合いの抜かりはありません。
ちなみに筒の中を覗きこむと、
このようになっております。
円筒状だけに、もしかしたら回るのかもしれません。
側面が燃えよドラゴンのラスボス部屋ばりに鏡張りで
木とサンタ増量中なのも、見逃せないポイントです。
もうしばらくブラついてみましょう。
おや、ここが有名な外人墓地ですか。
垣根越しに撮ってますが、思ったより随分細長い敷地なんですかな。
ランドマーク方面の夜景が、すぐに透けて見通せます。
教会でしょうか。西洋の城の塔のような威容ですね。
この界隈は電話ボックスまでも一味違っています。
「自働電話」などと書かれていますが、
昔は「公衆電話」 でなくこう呼んだそうです。
ちなみに「自働」でないのはどんなかと言うと、
それよりさらに以前は、有人の「電話所」があったそうです。
中も良く見ると普通の公衆電話機の上に、
大昔風のトボケた顔みたいな電話機が飾ってあります。
個人的にこれ見ると
サスケって飲み物の怪しいCM思いだすんですが、
改めて見てみると交番のも教会のも、ここまで旧式電話ではなかったですな。
あとここに出てくる「くのいち」、
「職業選択の自由アハハーン♪」のCMもやってた人だとか…
…えーと、全くワケのわからん方向に脱線してしまいました。
もうひとつ、この南国リゾート風な建物にもお邪魔してみましょう。
階段の欄干にズラリと並ぶ靴下。
欲張りすぎだってば。
もちろん寝室もクリスマスモード。
しかし、階段や寝室が立派な程度で驚いていてはいけません。
家の中にダンスホールぐらいあって初めて、真のブルジョアと言えるのです。
たぶん大抵の団地住人からしてみると、
ここだけで自世帯の部屋全部より広いんじゃないかと思われ。
いや、いいモン見せてもらいました。
しかし明治大正の洋館って、どうしてあんなに
生活感、社交感、そして屈託のない前途洋々さを兼ね備えているのでしょう。
日本の大名屋敷などは、物理的には非常にオープンなのに、どこか敷居の高さを感じます。
六本木ヒルズあたりの高層階などは、恐らく”べらぼうさ”ではあれらの洋館を上回るであろうに、
しょせん転売か虚栄を目的に産み出された、”短命”で魂のない家、という先入観があります。
一方であれらの洋館は、辛辣な見方をしてしまえば「帝国主義侵略者たちの拠点」なわけですし、
また、当時彼らの本国の丘に並び建つ情景を想像するならそれらは、
汚水と貧民と怨嗟の海に囲まれた特権階層の島、だったのだろうと思います。
やはり洋館や住人単体ではなく、ここの土地と時代背景との組み合わせがあって初めて
ああした何か、明るく暖かく爽やかなオーラが出るような気がします。
急坂だらけの道を関内方面に帰ります。
しかしよくあんな所に車、停められますな。
かなりなテクニシャンとみました。
石川町駅付近です。
雑居ビルと赤提灯。ガード下。
山を降りるといきなり印象が変わるので驚きました。
まさに見えない断層でもあるみたい。
そういえば鏡の間、いや燃えよドラゴンラーメンは、隣の山手駅だったかな。
あそこも駅名は山手だけど、明白に「下町」の所属でした。
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