2009年12月22日火曜日

[error:0126] 不信心者とクリスマス

一昨日に続いての夜景系ですが、




旧職場に書類提出のついでで、横浜山手界隈になぞ来て見ました。
実は私も初めて来たんですが、ここは「港の見える丘公園」。

紫色の塔は、いつのまにか改装工事の終了していた「マリンタワー」で、
当ブログ左上の写真にも借景させてもらってます(改装前、山下公園から撮影)

まだ5時頃なんですが、さすが冬至の時候。すでに完全夜景モードですね。
もちろん人目を畏れぬカップル達も、バッチリ出現中であります。




この辺は、明治大正あたりの異人館の密集地。
無料公開されてる建物も多いですが、
現在クリスマス装飾キャンペーン中なのでした。




ちょっとした広場というか、坂道を駆け巡るバスの転回スペースというか。
一部バスの中にも、車内が電飾されてるのがあるようですね。




1、2軒ぐらい中に入ってみましょうか。

せっかくだから、俺はこの建物を選ぶぜ!




立派な吹き抜けに、さっそくクリスマス飾り。
ここのはポルトガル式だそうです。

ただ残念なことに室内が変な、よどんだような匂いがします。
結構見学者多いから人いきれかも知れませんが、
併設のカフェ(もう閉店時間の模様)でよほど珍品料理でも作ったのか、
それとも何か特殊なワックスでも使っているのか。




こちらは食卓の再現。




部屋の隅にも、気合いの抜かりはありません。

ちなみに筒の中を覗きこむと、




このようになっております。
円筒状だけに、もしかしたら回るのかもしれません。

側面が燃えよドラゴンのラスボス部屋ばりに鏡張りで
木とサンタ増量中なのも、見逃せないポイントです。




もうしばらくブラついてみましょう。
おや、ここが有名な外人墓地ですか。

垣根越しに撮ってますが、思ったより随分細長い敷地なんですかな。
ランドマーク方面の夜景が、すぐに透けて見通せます。




教会でしょうか。西洋の城の塔のような威容ですね。




この界隈は電話ボックスまでも一味違っています。

「自電話」などと書かれていますが、
昔は「公衆電話」 でなくこう呼んだそうです。
ちなみに「自働」でないのはどんなかと言うと、
それよりさらに以前は、有人の「電話所」があったそうです。


中も良く見ると普通の公衆電話機の上に、
大昔風のトボケた顔みたいな電話機が飾ってあります。

個人的にこれ見ると
サスケって飲み物の怪しいCM思いだすんですが、

改めて見てみると交番のも教会のも、ここまで旧式電話ではなかったですな。
あとここに出てくる「くのいち」、
「職業選択の自由アハハーン♪」のCMもやってた人だとか…
 



…えーと、全くワケのわからん方向に脱線してしまいました。

もうひとつ、この南国リゾート風な建物にもお邪魔してみましょう。




階段の欄干にズラリと並ぶ靴下。
欲張りすぎだってば。




もちろん寝室もクリスマスモード。




しかし、階段や寝室が立派な程度で驚いていてはいけません。
家の中にダンスホールぐらいあって初めて、真のブルジョアと言えるのです。

たぶん大抵の団地住人からしてみると、
ここだけで自世帯の部屋全部より広いんじゃないかと思われ。


いや、いいモン見せてもらいました。

しかし明治大正の洋館って、どうしてあんなに
生活感、社交感、そして屈託のない前途洋々さを兼ね備えているのでしょう。


日本の大名屋敷などは、物理的には非常にオープンなのに、どこか敷居の高さを感じます。

六本木ヒルズあたりの高層階などは、恐らく”べらぼうさ”ではあれらの洋館を上回るであろうに、
しょせん転売か虚栄を目的に産み出された、”短命”で魂のない家、という先入観があります。

一方であれらの洋館は、辛辣な見方をしてしまえば「帝国主義侵略者たちの拠点」なわけですし、
また、当時彼らの本国の丘に並び建つ情景を想像するならそれらは、
汚水と貧民と怨嗟の海に囲まれた特権階層の島、だったのだろうと思います。

やはり洋館や住人単体ではなく、ここの土地と時代背景との組み合わせがあって初めて
ああした何か、明るく暖かく爽やかなオーラが出るような気がします。





急坂だらけの道を関内方面に帰ります。

しかしよくあんな所に車、停められますな。
かなりなテクニシャンとみました。




石川町駅付近です。

雑居ビルと赤提灯。ガード下。
山を降りるといきなり印象が変わるので驚きました。
まさに見えない断層でもあるみたい。


そういえば鏡の間、いや燃えよドラゴンラーメンは、隣の山手駅だったかな。
あそこも駅名は山手だけど、明白に「下町」の所属でした。
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