それでどこに向かっていたかと言いますと、馬橋駅の東方。この桜並木です!
この道をずっと行った先の常盤平という所のほうが
桜並木としてメジャーなのですが、個人的に見応えはこちらが上と思います。
常盤平もここも、「今年の桜まつりは被災地感情に配慮して中止」
とのお触れが出ていますが、
それは単に露店が出ないだけであって、桜さえあれば花見は可能です。
あ、あと酒ね。すでにコンビニで日本酒の小瓶、仕入れて来ていますよ。
どっちにしろ懐が痛いので、露店云々以前にそれ以上出費できませんが。
ところで露店にしても、商店街できちんと決算管理したうえで
むしろチャリティー露店企画にしてしまえば良いと思うのですが、どうでしょう。
花見やら祭りやらをやめたところで、被災地のためになるわけでもないんだし、
「不幸のあった人に遠慮する」なら、普段だって誰かどこかしらに居るはずです。
だいたい、お盆祭りだって追悼行事ですしね。
特に長崎の精霊流しなんて、どんちゃん騒ぎを通り越して
ユーゴスラビアあたりの市街戦のような凄まじさです。
追悼行事のはずが、見送る方の人間が爆竹で焼死しないか心配でした。
曇り空がやや残念ですが、
花の命は短い(しかも明日から土日で混むと思われる)ので
延期はあまり得策ではないでしょう。
何と言っても、適度な道幅ゆえの桜トンネルと登り坂とのコラボが完璧です。
トンネルを越えてくる車たち。
しかし長い並木道とはいえ、車のスピードでは少々勿体ない。歩くに限ります。
花もさることながら、幹の力強さも見どころですね。
電線も桜に呑まれてしまっています。ただ、私のコンパクトデジカメだとダイナミックレンジ不足
(花をメインで写すと幹が真っ黒になる)で描写し切れないのが、残念至極です。
完全に満開の盛りなので
余震、いや風で枝が揺さぶられても、そんなに花びらは落ちません。
重そうな枝がユサユサと、動物のシッポのように踊ります。
ところで、桜の花粉症ってのはあるんでしょうか。
見逃されがちですが、生まれたての小さな花の姿もまた良し。
まさに若々しさの象徴ですね。
ところで梅・桃・桜の見分け方をひとつ。
花びらが丸いのが梅、尖ってるのが桃、切れ込みがあるのが桜です。
あと梅<桃<桜の順に、枝から花までの距離が長くなるそうです。
そんなわけで花見を自粛しようなんて動きは
この私の中にはまるで無いのですが、
それに対してここのメガネ屋さんは、正直ちょっと恩着せがましい。
エコ運動と同じで、企業にとっては実効性より宣伝材料なのでしょう。
常に下を向いて咲く桜の花は、実った稲同様、謙虚の象徴でもあるそうです。
ついでに菊同様、追悼の意味のある花だとも聞きましたが
「立派な桜の下には死体がある」伝説と関係あるのでしょうか。
やがて桜並木が途切れると、突如むしろ地中海風なミニ公園が現れます。
隣接する民家の塀も一体型の設計。
それとも公園ではなく、民家が私有地を開放してあるのかな?
ともかく、さらに前進して八柱駅あたりから帰ることにしましょう。
何か視線を感じる…
こいつか! CG顔が不気味です。
古本屋かと思ったら床屋。
節電ムードでもトリコロールは常時動いてます。
止めると準備中に見えてしまうし、片付けるといよいよ完全に古本屋なわけで。
何度見直しても寿司屋と明記されています。
ここからはケヤキ通り。
見晴らしの良い台地の道は、すでに春をも通り越したかのようです。
通りの下は松戸市最大の園地。森やら池やら桜やら色々あるのですが、
確かこの、微妙にビッグサイトっぽい郷土博物館の奥からしか
行けないんですな。つまり有料。
展示は個人的に面白そうだったので入っても良かったんですが
もう4時だったので、また今度にします。
虚無僧も土偶も、まさかクリアファイルと組み合わせられるとは予想外でしょう。
でもTシャツなら買うかも。いや懐が痛いんだった。さっさと帰ろう…。
向かいのホールは16年ほど前、成人式で行きました。
本当は当時、大学に通うために世田谷に住んでいたのですが
住民票を移さなかったので、選挙や成人式の時だけ松戸だったわけです。
そしたらなんとケント・ギルバート(「HOWマッチ」の終了後まだ数年でした)
が登壇しまして、確か「社会人の責任」について、良い話をしてくれました。
デリカットのほうが出て来て一発ギャグ、とかでなくて良かったです。
帰ってみたら出版社の採用、落ちてました。
桜散る。
笑ってくれ、ケントよ。
履歴書(作文までも)をわざわざ返送してくれるのは丁寧で良いのですが、
そこは「採用を見合わせていただく」ではなく「採用を見合わさせていただく」
ではないですかね、先輩編集者殿。
やっぱり「誤植見つけるの得意です」って書いとくんだったかなぁ。
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